2006.02.14 東海自然歩道
柳生〜忍辱山(にんにくせん)円成寺(えんじょうじ)〜奈良市街(高畑・新薬師寺付近)


月ヶ瀬口〜笠置〜柳生より
















朝の奈良駅

バスで柳生へ

柳生の田園地帯












(左 2枚)柳 生の集落をしばらく歩いた後、写真で駐車し ている 軽ワゴンの後ろから、山道に入る








ほうそう地蔵
ほうそう地蔵1
ほうそう地蔵2

山 道を 入ってすこしだけ歩くと見つかった。

「名 の由来は、昭和44年にすぐ下の土の中から見つかった時、顔の部分が剥落(はくらく)して、疱瘡(ほうそう)にかかった様に見えたのでそう呼ばれています が、現在は修復されてます。また、向かって右下に長方形の枠取りがされて、中に元応元年(1319年)11月の銘があり「正長元年ヨリ、サキ者カンヘ四カ ンカウニ、ヲ井メアル、ヘカラス」と刻まれて、文意は、正長元年(1428年)より以前に借金している者で神戸四ヵ郷(春日社領の大柳生、柳生、坂原、邑 地)には負目(おいめ)あるべからず。つまり、借金の棒引きをすると云う、室町時代の「徳政」を記念して彫られた貴重な資料です」
浦野エマージュホームページ・奈良観光 旧柳生街道「滝坂の道」その13よ り)

つまり、この名で呼ばれるようになったのは、ごく最近だったという事だ。へぇ〜。










(上2枚)それほど急ではない上り坂を登りきると、阪原 峠。
「昔 花嫁が東の柳生から西の大柳生へ嫁入りする時、ここで故郷の名残を惜しみ、ふりかえった」と言われる(前出「滝坂の道」その12より)

















下りは恐ろし く急だ

数分で阪原が見えてきた

集落の中の道を縫うように歩く
















おふじの井戸。
柳生の殿様の無理難題に見える質問を、おふじという娘が切り返し、感心した殿様が妻に迎えたそうだ。
話す仕事をしている私にとって、ためになるお話だ

ひっそりと静まり返る南明寺に着く。
重要文化財・本堂の中には、平安初期の国重文で本尊「木造薬師如来坐像」、平安後期の国重文「木造釈迦如来坐像」「木造阿弥陀如来坐像」が安置されている そうだが、寺内は無料で入れて、警備員もいない。セキュリティに問題はない?

奈良市青少年野外活動センターの公園がある所で左折。一 度山の中へ









広がる大 柳生の盆地。
奥の森の中に夜支布山口神社がある

大柳生











畑

(左2枚)大柳生を歩く。適度なアップダウンがあって、気持ちいい道だ









直前の階段

夜支布山口神社


(上と右)森に入り、急な階段を上ると、夜支布山口神 社。
森の中でひっそり感がいい











神聖なる夜支布山口神社の木

面白い灯篭

迷いやすい大柳生口交差点付近
夜支布山口神社のある 森を抜けると、ゲートボール場がある 四差路だが、どこを行けばいいか標識がない。
田んぼの中をさまよっていると、川の向こうに東海自然歩道の看板が。
川を強引に渡り、大柳生口の交差点へ歩くと、写真の所で夜支布山口神社からの自然歩道 が。
逆方向に歩いていたのだ。
もったいない
神聖な夜支布山口神社の境内の木
面白い灯篭

















森の中や田んぼ、畑を縫いながら歩く

山道に入り、ダラダラ坂を登る
円成寺の手前で、国道369号線に合流









忍辱山円成寺

万寿3年(1026年) に実質的な開基が命禅によってなされたと推定さ れている。
平安時代末期の保元元年(1156年)、京都仁和寺の寛遍が 東密忍辱山流を開いて寺運は興隆した。この頃に本尊が当初の十一面観音から阿弥陀如来に代わったと思われる。
応仁の乱(1466年−1476年)の兵火により堂塔伽藍の大半が焼失したが、栄弘が入り再興され た。江戸時代は寺中に子院23か寺を有するほどであったが、明治維新の際の混乱により現在の姿となった。
正門にあたる楼門の前には平安時代の面影を残す、池を中心とした浄土式庭園(名勝)が広がる。楼門を入ると本堂を中心に鎮守社の春日堂、白山堂、宇賀神本 殿、多宝塔などが建つ。
本堂の脇に建つ春日堂・白山堂は、春日造社殿の現存最古の例として、また安元2年(1176年)、仏師運慶の作である木造大日如来坐像はそれぞれ国宝に指 定されている。
本堂、楼門などは、重要文化財に指定されている(Wikipedia 日本版 円成寺 (奈良市)より編集)

円成寺1
円成寺3
円成寺2
円成寺4
















円成寺を出て、国道から山道に入る

意外と変化に富んだ山道を通る

パッと一瞬視界が広がり、茶畑が登場
















再び森の中を通り、車道に合流

県道184号線を進む

前が明るくなり、また茶畑!











峠の茶屋
峠の茶屋。
ここでお昼



誓多林の集落を行く

















まもなく正午

年代ものの家具と、有名人からのサイン色紙

山菜うどん(650円)を注文









分岐点






峠の茶屋を出て少し行くと、地獄谷石窟仏への分岐点。
道標を見ると、石窟仏まで0.5キロだそうだ。
行ってみよう
(赤線が東海自然歩道。青線が石窟仏への道)

尾根道から急な下り坂を経て、V字谷の渓谷が見えた。
これが地獄谷?

えぐれた谷。
人が通れる部分はごく狭い。
足元に注意











地 獄谷石窟仏
やっと見つけた地 獄谷石窟仏。柵と針金で覆われていた。

奈良時代後期の作と伝えられる高さ1.4mの盧舎那仏を中央に、左が薬師如来、右は十一面観音左が薬師如来、右は十一面観音(室町時代ごろの追刻)を両手 に従える。

地獄谷石窟仏


また登る。
0.5キロはおろか、1キロ以上は歩いているように感じられる


















奈良奥山ドライブウェーを渡る

ドライブウェーからダラダラ下って、新池

森の中にたたずむ首切地蔵













朝日観音
首切地蔵で東海自然歩道に合流。奥に見える 石畳の道を行く

春日の山は世界遺産に指定されるほどの原生 林

鎌倉時代の中期に彫られた朝日観音












寝仏




石畳の急な下り坂を滑るように駆け下りた

もはや原形をとどめない寝仏。
看板にも「何も見えへん」と書かれる始末 だ

急坂を下りきり、集落に出た









白毫寺(びゃくごうじ)方向への分岐






東海自然歩道は白毫寺(びゃくごうじ)方向へ分岐する (赤線)。今回は 奈良の町へ出るため、青線の道を行く

少し広がった車道を行く

春日大社の原生林を住処にする鹿の群れ











奈良町のカフェレストラン

商店街のアーケード


ならまちを少し散策。
元興寺の門

ならまちにはおしゃれな店が多い。
カフェレストラン










今回 のコー ス
8:25 柳生〜8:48 ほうそう地蔵〜9:20 南明寺 9:27〜10:17 大柳生口交差点〜10:45 円成寺 10:52〜11:55 峠の茶屋 12:25〜12:55 地獄谷石窟仏〜13:10 首切地蔵〜13:37 東海自然歩道から離脱(〜14:40 JR奈良駅)

参考資料:
■浦野エマージュホームページ・奈良観光(http://urano.org/kankou/index.shtml
■円成寺(http://www.naranet.co.jp/enjyouji/index.html
■地獄谷石窟仏(聖人窟)|K's PLAZA
http://www.kintetsu.co.jp/spot/spot_info/spot0000232.html









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