2006.03.18 東海自然歩道
養老公園〜西沢田〜松尾山〜エコミュージアム〜丸山のろし場(〜JR関ヶ原駅)

西藤原〜川原越〜養老公園編より









目が 覚めたのが、朝の7時過ぎ。岐阜のカプセルホテル。
テレビでやっていた天気予報を見ると、昼から雨。
なんてこったい。
この日は関ヶ原一周までしようと思ってたのだが、行けるのだろうか…。
大垣までJR、そこから近鉄で養老駅まで向かった

















1919年(大正8年)に改築された養老駅の駅舎

養老駅のひょうたん

自然歩道への上り坂の途中に、ひょうたん会館が
















前回の離脱点に着く。9時を過ぎてしまった。
雨が降るまでに距離を稼いでおかなければ。
左の小道を行く

ホテル養老館

しばらく山中を歩くと柏尾谷の砂防ダムが見えた











柏 尾谷の砂防ダム前から、遠く濃尾平野が見える(動画



(↑) 枯れ谷の柏尾谷を渡る と、向こう岸の道への登り階段が

(↓)砂利道を降りると、東海自然歩道は左に分岐
























(←) (↑)
森を抜け、
柏尾寺跡へ

真新しい休憩所のトイレ









千体石仏群

明治時代の発掘で、織田信長に焼き討ちされたと言われる柏尾寺跡から千数百体もの石仏が出土。
寺跡の一遍に安置したのがこの千体石仏群
(現地の説明版より)




















(↑) 日吉神社へ

(←)千体石仏群から長く急な坂を下り、谷を渡った所で水の通り道が


山腹を縫って進む












竜泉寺跡への長い登り。
前日の歩きで足首はもう痛い。
一体、どこまで登らされるのだろうか



竜泉寺跡への分岐

















竜泉寺跡。
苦労して登ったのに、あるのは数体の石仏と標識だけ

(↑)(→)登った分だけ下らねばならないのは、もう宿命

















坂を下りきり、はずれの道を歩くと、上方白鳥神社

再び森の中へ

涸れ谷の説明板がある谷を渡る。
涸れ谷になるのは、流れる途中で、地下水として地面の中に潜ってしまうからだそうだ。
養老山地からの谷は
涸れ谷が多い
















大和武尊が伊吹からの帰途の際、飲んだとされる泉があ る、桜井白鳥神社

養老山地も砂防ダムが多い(桜井西谷)
新旧の看板が組み合わさる久々美雄彦神社手前の道標















沢田の集落を過ぎ、墓場の中を通り小山へ
歩いていると、標識はないが、キャタピラーの跡がついて いるダートの道に突き当たった。
工事の人に聞くと、ここが東海自然歩道との事

キャタピラーの道からダートの道に入り、しばらく行く と、谷が見えた
















谷に降り、下流に下ると奥に県道が

県道の合流点が西沢田のバス停

広瀬橋で牧田川を渡る
















広瀬橋を渡った所の公園。
ここの標識も養老5.5キロ。
川原越からここまでの標識は誤標が多い

しばらく牧田川〜藤古川沿いの堤防沿いを歩く

奥に伊吹山が
















車道を一つ越え、桜の一本木の所を左折

左折して藤古川橋を渡る。
雨がパラついてきた

県道に合流。
関が原町の平井集落へ向かう
















上石津町の平井集落を通る。
雨が本降りに…

県道から一時外れ、旧道を通る

再び県道に。
路面が完全に濡れている
















旧道に出て、関が原町平井の集落を行く

松尾山への分岐の標識が

登り口に聖蓮寺が
















登り口からしばらくは、車も通れる道だったが、10分ほ どで登山道への分岐が

(↑) 山道の中のほこら

整備されていて歩きやすい(→)









松尾山

標高293メートル。
関が原の合戦では、東軍の鉄砲の音で東軍に寝返り、勝負の分かれ目となった小早川秀秋が陣を敷いた。
西軍、東軍の陣地が両睨みできる場所にある。
山の形は南側は傾斜が緩く、関が原を望む北側は急峻である
(動画:





小早川家の黄色い旗がたなびく

屋根付きあづま屋。雨のときは 助かる

雨で関が原の視界は望めず
















(↑) 途中から車も通れるとはいうものの、急な下り坂

(←)松尾山から、アップダウンを繰り返しながら下る

頂上から20分。
平らな所に出た
















名神高速道路をくぐる

新幹線をくぐると、天武天皇を祭っている井上神社
天武天皇が壬申の乱後に設置したとされる不破の関付近。
まっすぐ行くと、資料館。
右は関庁跡
















関庁跡とは言え、今は畑。
壬申の乱の時に、天武天皇が兜を掛けたと言う兜掛石がある

藤古川を渡る。
大海人皇子(後の天武天皇)と、大友皇子が戦った壬 申の乱で、運命を分けた決戦場と伝えられる

エコミュージアムへは中仙道をまず通る
















大谷吉継の墓への標識が出たら中仙道を出て、東海道線の ガードをくぐる

東海自然歩道から山道に入って300メートルで大 谷吉継の墓だが、遊歩道の工事中で足元も悪く断念
前山への分岐を過ぎると、景色がパッと広がる。
晴れているときには、伊吹山が大きく見えるそうだが、残念…(動画:
















エコミュージアム関が原に着く時には、どしゃぶりになっ た

傘を差しながら、車道を行く。
標識の手前で本来右だが、まっすぐ行ってしまった

伊吹山口交差点。
伊吹山ドライブウェーは通行止めだった
















国道365号線をまっすぐ行くと、関が原ウォーランドの 看板が。
看板に従って進むと、小道が東海自然歩道だった

しばらく集落を行き、国道365号線に戻ると、笹尾山へ 向かう小関の歩道橋。
小道は道がややこしいし、大した名所はないので、
伊吹山口交差点から、国道365号線をこの歩道橋に直接歩いてもいい

八幡神社の境内









八 幡神社の奥から階段を登ると、笹尾山に









笹尾山

関が原で西軍だった石田三成の陣。
ここから二町(約200m強)東に二重の柵を設け、その前面左翼に島左近、右翼に蒲生郷舎を配置して戦いに臨んだ。
今は休憩所になっている。
ボタンを押すと、関ヶ原の合戦の解説が流れる陣形図がある。
ここからは、遠く
関ヶ原を一望できる。
石田三成の旗印が立っていた
(動画:























笹尾山の目と鼻の先に最後決戦地があった。ここが最大の 激戦地とされる所
(動画:

大津石山以来、久しぶりのコンビニであるローソンの脇を 抜け、国道21号線バイパスをくぐった

3つの池の横を通る(動画:
















池のはずれに丸山烽火場への分岐が

東軍の黒田長政・竹中重門が陣どり、 開戦ののろしを上げたとされる丸山(岡山)烽火場。
小高い丘にあった。
着く頃にはもう暗かった。
災害の影響なのか倒れた小屋があった
(動画:

丸山烽火場を降り、東海 自然歩道は垂井方面に向かうが、暗くなったので、今日はこれで離脱。
JR関ヶ原駅に向かう
















JR関ヶ原駅に到着
列車が滑り込む











今回 のコース
(8:52 近鉄養老駅〜)9:15 不老池〜10:00 千体石仏群〜11:15 桜井白鳥神社〜12:15 広瀬橋 12:25〜13:12 藤古川橋〜14:05 関ヶ原町平井〜14:27 松尾山 14:50〜15:23 不破の関跡〜16:23 関ヶ原エコミュージアム 16:30〜17:15 笹尾山〜17:50 丸山烽火場(〜18:05 JR関ヶ原駅)

参考資料:
よっせーの山彦通信:松尾山http://www2s.biglobe.ne.jp/~kayose/sizenhodou/251-260/matuoyama.html
■シルバーの散歩道わき道5 中山道美濃路十六宿後編:
中山道・不破の関跡と常盤御前墓http://nakasnp2.hp.infoseek.co.jp/mino152.htm
■戦国浪漫:史跡探訪・関ヶ原周辺/笹尾山(石田三成陣跡)
http://www.m-network.com/sengoku/sekigahara/tanbou02.html
■岐阜大学総合情報メディアセンター・西濃の歴史(http://www.crdc.gifu-u.ac.jp/mmdb/rekisi/index.html








次回・丸山烽火場〜霞間ヶ渓〜六 合・モリモリ村へ続く
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