田園編
2011.01.16 奈良県橿原市:酒造みてある記ウォーキング
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寒くて風がビュービュー吹き付ける厳しい冬の一日。
この日のウォーキングイベントは、近鉄主催の「酒造みてある記」ウォーキングだった。
mixiのウォーキングコミュに参加しているので、それに乗る形でこのイベントに参加した。
耳成山に登り、旧藤原京跡で昼食、おふさ観音を通り、畝傍御陵前駅近くの喜多酒造で、日本酒の試飲と贅沢な一日だった










耳成山の登り口に地蔵さんと、百度石の石標が
耳成山がみえてきた










耳成山

耳成山は、標高139m。大和三山の一つ。
頂上近くに、耳成山口神社がある。
また古代大王の御陵があったとも伝えられている。
南部の耳成山公園は桜の名所である。



神社を守る石の守り神。
ここではかつて、たびたび雨乞いが行われたという。
そういえば、この辺りは人工のため池が多いが、大きな川が少ないため、古来から水不足に悩まされてきたのだろう。
八合目に相当する場所にある耳成山口神社












山を降り、歩いていると「醍醐町環濠跡」の 看板が

(↑)環濠集落の中を行く。
醍醐山是信寺を通過

「太神宮」の石灯篭(→)













(↑) 環濠集落を抜け、藤原京へ向かう

水路が凍っていた(動画あり)













風がビュービュー吹く中、遠くに畝傍山が見える

藤原京跡に到着

かなりの強風で、止まっていれないくらい。
木で風除けをする人も。
参加者でおしくら饅頭をしていた


藤原京跡

日本史上最初に、中国の影響を受けた条坊制を敷いた都。
『日本書紀』では、「新益京(あらましのみやこ)」と呼ばれていた。 規模は5.3キロ四方で、古代最大の都。大和三山も、この条坊の中に組み込まれていた。
Wikipedia: 藤原京より)
694年に飛鳥から遷都。奈良の平城京に遷都する710年までの間、日本の都だった。

この都の時代、天皇や貴族を中心として条坊制の都を取り入れたおおらかな白鳳文化が花開いた。
701年には大宝律令が施行され、日本の国の形が始動しだしていくことになる。

都の特徴としては、平城京や平安京が都の北側に宮殿があるのに対し、藤原京は都のほぼ真ん中に宮殿があった。
またメインストリートである朱雀大路も平城京や平安京が幅70mの大きなものに対し、幅24mと狭い道であった。
宮殿は南北600m、東西240mにおよび、日本で最大の規模を誇る













続いて飛鳥川沿いにある、おふさ観音に。
初えびす大祭の日で、正門の前に出店があった。
(動画はこちら

畝傍御陵の横を通り、喜多酒造の手前に来ると、ご覧の通り、試飲を待つ列が











列の前に喜多酒造があった

(↑)同行者から、おふさ観音の出店で購入したものか、えびす様がプリントされ た飴をいただいた

ようやく喜多酒造に入れそうだ(→)













喜多酒造。
「御代菊」の看板がかかる

喜多酒造は創業1718年

中に入っても、試飲中や試飲のための行列が。
相変わらずの強風(動画)だが、お酒でほっこりする。













辛口のにごり酒

あっという間に試飲のお酒がなくなる

お酒が継ぎ足された



この後、橿原神宮駅へ移動。
駅近くの王将で、食事をし、駅から帰途についた。

<ルート>(ヤマレコより)

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